前回までのあらすじ
悩める18歳のピアニスト・鍵一は、恩師より音楽史研究のミッションを授けられ、1838年のパリへとワープする。フランツ・リストの勧めでサロン・デビューを目指すさなか、カール・チェルニーから贈られたのは、秘曲『夢の浮橋』の楽譜の一部であった。興味を惹かれた鍵一は、楽器製作者ピエール・エラールとともに『夢の浮橋』の復活上演を志す。
河井寛次郎記念館にて(Ⅱ)♪
なるほど、登り窯※4にその人は居た。巨大な窯の連なる頂上付近で、室(むろ)を熱心に覗いている。鍵一が声をかけるより、相手が振り向くほうが早かった。ほほえむと、珊瑚のイヤリングがきらきら揺れた。
「お好きですか、河井寛次郎」 笑顔で聞かれて、鍵一は言葉に詰まった。文箱[※5](#c5)を思い出して曖昧にうなづくと、相手も嬉しそうにうなづいた。 「わたしも好きです。パリで作品を見てから、ますます好きになりました」 「パリで……?」 「学生時代に留学してたんですよ。そのとき見た河井の作品は、おなかのまるい、狸みたいな格好の、素朴な壺で。グランプリの賞状と並べて飾られて、ちょっと居心地悪そうにしてました。その佇まいが何とも言えず良かった」 「グランプリ?」 「ええ、パリ万博に出品された壺で[※6](#c6)」 「パリ万博に行かれたんですか?」と、言ってしまってから赤面した。相手はほがらかに笑った。 「そりゃ、行ってみたいですけど。1937年のパリ万博[※7](#c7)だから、ワープでもしない限りは」 「そうですよね、そうですよね」 耳まで赤くなって、それでもパリに所縁ある人と分かってホッとした。 
鍵一は登り窯のゆるやかな傾斜を上った。ウルトラマリン・ブルーのスカートのその人は、登り窯をかろやかに下りてくる。窯の中腹で出会うと、すらりと背が高かった。鍵一とフェルマータを交互に見て、
「こちらでお会いするのは初めてですよね?」 「はい、あの……よくこちらにいらっしゃるんですか?」 「ええ、これを見に」と、登り窯を見渡した。 「陶芸の窯は大きいんですね」 「最近の窯はもっとコンパクトですよ。コンビニエンスストアにアイスクリームが入ったケースがあるでしょう、腰高の。あれくらいです」と、手ぶりでサイズを示してみせる。鍵一にはコンビニエンスストアの印象が朧げであった。代わりに、カフェ・プロコープ[※8](#c8)の dolce [※9](#c9)を思い出した。 
「今はこの……登り窯は使われていないんですね」
「ええ。40年くらい前かしら。煙の公害が問題になって、京都では操業停止になりました。みんなで火を焚いて、一気にたくさん焼くものだから、煙の量がすごかったのね」と、先ほど彼女の居たあたりを指さした。 「河井の室(むろ)はあれです」 「お詳しいですね」 「わたしもね、焼くんです。うつわを」というので、その人が陶芸家の登与子にちがいなかった。『夢の浮橋』絵巻の件をどう切り出すべきか[※10](#c10)、鍵一が考えあぐねているうちに相手は笑顔になった。 「やきものにご興味が?」 「周りに詳しい人は多いです」と、恩師の愛用するポーリッシュ・ポタリーが浮かんだ。 「ぼくのピアノの師匠は、ポーランドのやきものがお好きなんです。いつもレッスンルームに置いてあるので……それはよく見ていました」 「青い花模様の?」 「マグです。でもあるとき、うっかり落として割ってしまったそうで。欠けたところを金で継いで、割れる前よりむしろ面白い景色[※11](#c11)になったと仰っていました」 
すると、陶芸家の心に何かが作用して、ばらばらの記憶が継ぎ合わされたらしかった。「もしかしてあなた」と目を輝かせた。
「元旦の京都駅で、あの独創的なショパンを弾いてた人?」[※12](#c12) 言われて、年始の京都駅の風景が animante [※13](#c13)に額を殴る。自分が何を弾いたかはまったく覚えていなかった。ただ、見知らぬピアニストの弾いていた曲が、鍵一の脳裏をあざやかにたゆとうた。つづく
◆ おまけ
音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』がオーディオドラマになりました
日本最大級のオーディオブック配信サイト『audiobook.jp』にて好評配信中♪ 第1話のみ、無料でお聴きいただけます。ピアノ独奏曲『夢の浮橋変奏曲』
鍵一が作曲するピアノ独奏曲。幻の名曲『夢の浮橋』のモチーフを活かし、12の変奏から構成されます。変奏曲はそれぞれ、19世紀の旅で出会った人々(と猫)の肖像を表しています。実際には作曲家の神山奈々さんが制作くださり、ピアニストの片山柊さんが初演をつとめて下さいました。2022年、本作の音楽劇とともに改訂初演されます。 ♪『夢の浮橋変奏曲』&音楽劇が聴けるピアノリサイタル(2022年) 京都・パリ 2つの古都のための片山柊ピアノリサイタル ―音楽劇『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』他―- 京都市下京区の地名。
登り窯
陶磁器を焼成するための窯。傾斜地に複数の窯が連なっており、高温を保ちながら大量の作品を焼くことができます。江戸時代に朝鮮の窯に倣って造られ、全国に広まりました。 京都市では京都府公害防止条例(1967年)により、登り窯から排出される煙が規制され、窯は操業停止となりました。窯跡は景観重要建造物として、製陶業の歴史を今に伝えています。鍵一が五線紙を入れている文箱
第83話『河井寛次郎記念館にて(Ⅰ)』をご参照ください。河井寛次郎とパリ万博
陶工・河井寛次郎(1890-1966)は1937年に「鉄辰砂草花図壺(てつしんしゃくさばなずつぼ)」を制作。同年、友人の川勝堅一がこの作品を(河井に相談なく)パリ万国博覧会に出品すると、グランプリを獲得しました。河井自身は受賞歴や勲章の類に興味がなく、生涯無位無冠を貫きました。- 1686年創業。アイスクリームで有名でした。19世紀には、ジョルジョ・サンド、バルザック、ゴーチエなど、多くの作家や芸術家が集う場でもありました。
dolce(ドルチェ)
イタリア語で「甘いお菓子」、音楽用語では「甘く柔らかに演奏する」の意。『夢の浮橋』絵巻の件
第82話『巡る夢の浮橋♪』をご参照ください。景色
茶道や陶芸において、「作品の表情」といった意味。元旦の京都駅の出来事
第47話『そうだ、京都ゆこう(Ⅱ)♪』をご参照ください。animante(アニマンテ)
音楽用語で「生き生きと速く」の意。 SF音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』(ふるたみゆき)TOP