図3 旧東京音楽学校奏楽堂(大正時代)

そして明治末期に至って、ようやく本格的な演奏会場が次々とオープンします。明治41(1908)年開場の日本初の全席椅子席の西洋式劇場と言われる有楽座と、明治44(1911)年 開場の帝国劇場です。皇居から程近いこの2つの会場は、純粋にヨーロッパの劇場建築に忠実に則っとり、現在に至るまでで最も本場の劇場に近いものであったと筆者は考えています。この2つの劇場は演劇や歌舞伎、オペラまで多目的な上演を行っていましたが、確りと劇場の経営が成り立ち、音楽・演劇双方に大きな足跡を残した点で、文化への貢献は極めて大きなものがあります。

ただ、惜しむらくは丸1世紀前の大正12(1923)年9月1日の関東大震災で何れも焼失してしまいます。有楽座は再建されず、帝国劇場は再建されたものの、震災前より簡略化されたのが写真から判ります。日本で本場とほぼ同等の劇場を有した時代は、僅か15年程でしたが、その間に現在に繋がる世界的な演奏家の来日公演が始まった事は、日本の音楽史にとって重要な事柄です。

図4 開館当時の帝国劇場内部(初代)  
図5 大正期の有楽座内部

本題の澤田柳吉に戻りますが、明治45(1912)年2月22日、「ショパン誕生記念演奏会」が開催された華族会館とはどんな場所だったのでしょうか?調べると、華族会館とは華族の親睦団体で、明治45年当時は旧鹿鳴館の建物だった事が判ります。鹿鳴館が明治16(1883)年の落成で、明治23(1890)年に宮内省の払い下げを経て明治27(1894)年に華族会館に払い下げられています。そして、どの部屋でリサイタルを行ったのか?ここに興味深い写真があります。2階の一室でしょうか?2間続きの大きなサロンそのもので、空間の右端にグランドピアノが写っており、恐らくざっと100名前後は収容できたと思われ、もしやこのグランドピアノが使用されたのでは?と筆者は考えています。

図6 華族会館 サロン内部

参考資料

  • 「音楽五十年史(上)」 堀内敬三著 講談社学術文庫138
  • 「東京風景」 小川一真出版部 明治44年4月 (国立国会図書館デジタルコレクションより)