前回までのあらすじ
悩める18歳のピアニスト・鍵一は、恩師より音楽史研究のミッションを授けられ、1838年のパリへとワープする。フランツ・リストの勧めでサロン・デビューを目指すさなか、カール・チェルニーから贈られたのは、秘曲『夢の浮橋』の楽譜の一部であった。興味を惹かれた鍵一は、楽器製作者ピエール・エラールとともに『夢の浮橋』の復活上演を志す。
夢とカプリス♪
「エクトール・ベルリオーズさんですね。19世紀の作曲家です」
「へえ、どんな人?」と聞かれて、鍵一はレストラン『外国人クラブ』の一幕を懐かしく思い起こした。 夏の夜の一件[※4](#c4)以来、その人はときどき店に来るようになった。オペラのシーズンが始まると、大抵はひどく酔って来た。ただし、ひとりで来る事はなかった。画家なり作家なり、必ず友達に支えられて、ふらふらと来るのだった。 ある晩、暗い顔のその人が店の扉をあけるなり、 『パリの聴衆の耳が追いついてないだけなんだ、レリオ[※5](#c5)だってそうさ』いきなり叫んだ。仲間に『まあ、座りたまえよ。いったん落ち着こう』と言われて、テーブルに座るやワインを3杯ほど飲んだ。溜息をついて、しばらく黙っている。それから顔を明るめて、 『パリの聴衆の耳が追いついてないだけなんだ』 と、また同じ事を言った。 あたらしいワインの栓が抜かれ、フロマージュの皿がからになり、マカロニが焼き上がるころには、芸術談義は彼自身の恋愛譚に変わっていた。そのうち、やにわにギターを抱えて自作の一節を弾き出した。居合わせたF.ヒラー[※6](#c6)が即興でピアノの伴奏を買って出た。…… 
猫のフェルマータが伸び上がって、早春の車窓を眺めている。2人と1匹を乗せた車は鴨川※7に沿うて、西へ西へと走った。両岸の景色はまだ枯れて、料亭も桜並木も沈黙している。対して川は
cantabile
※8に輝きながら、春へ春へと誘っている。

「ベルリオーズさんはご自身で台本も書かれていますから。曲と併せて物語をお読みいただくのが良いかもしれません。できればフランス語で……」
「楽しそうね。ちなみに鍵一さん、お住まいはどちら?」 「貴船の山奥です。叔父の家に居候しておりまして」 「叔父さまというのは?」 「古美術商を営んでおります」 「あら」陶芸家は目をみはった。「じゃ、鍵一さんは、古美術『鉄平堂』の?」 「甥です」 納得をみたところで、車は出町柳[※10](#c10)に着いた。つづく
◆ おまけ
音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』がオーディオドラマになりました
日本最大級のオーディオブック配信サイト『audiobook.jp』にて好評配信中♪ 第1話のみ、無料でお聴きいただけます。ピアノ独奏曲『夢の浮橋変奏曲』
鍵一が作曲するピアノ独奏曲。幻の名曲『夢の浮橋』のモチーフを活かし、12の変奏から構成されます。変奏曲はそれぞれ、19世紀の旅で出会った人々(と猫)の肖像を表しています。実際には作曲家の神山奈々さんが制作くださり、ピアニストの片山柊さんが初演をつとめて下さいました。2022年、本作の音楽劇とともに改訂初演されました。河井寛次郎記念館
陶工、河井寛次郎(1890-1966)の住居兼アトリエを基とした私設美術館。2023年に開館50周年を迎えます。夏の夜の一件
第12話『文学×音楽×幻想=??♪』をご参照ください。ベルリオーズの抒情的独白劇『レリオ、あるいは生への復帰』
『幻想交響曲』の続編として1831年に制作されました。独唱、合唱、管弦楽のための作品であり、曲間には俳優による語りが入ります。- 京都市内を流れる一級河川。
cantabile(カンタービレ)
音楽用語で「歌うように、表情豊かに」の意。木彫りの文箱
第83話『河井寛次郎記念館にて(Ⅰ)♪』をご参照ください。- SF音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』(ふるたみゆき)TOP