前回までのあらすじ
悩める18歳のピアニスト・鍵一は、恩師より音楽史研究のミッションを授けられ、1838年のパリへとワープする。フランツ・リストの勧めでサロン・デビューを目指すさなか、カール・チェルニーから贈られたのは、秘曲『夢の浮橋』の楽譜の一部であった。興味を惹かれた鍵一は、楽器製作者ピエール・エラールとともに『夢の浮橋』の復活上演を志す。
水の戯れ(Ⅰ)♪
翌日の午後、アトリエに掛けると陶芸家がすぐ出た。「ああ、鍵一さん」と数十年来の知己のように声がはずんだ。
「ちょうど良かった。今日はピアノ曲を聴きながらろくろを回したいなあと思って。なにかおすすめはある?」 「ええと……なにを創るんですか?」 「蕎麦猪口。お世話になっている蕎麦屋さんに頼まれて、六つくらい。自由に創っていいとは言われているけど、お店でお客様に出すものだから、サイズや容量はできるだけ揃えたくて」 「お猪口によって蕎麦つゆの量が違ったら、ちょっと気まずいですもんね」 「そう、そう。まあどうしても、ひとつひとつの表情は違うものになるんだけど。ろくろに載せて、できるだけ同じ速さで回しても、水と土の神様の采配でそれぞれ違うものになるの。窯に入れたら火の神様の領分だから、わたしの与り知らぬところでそれぞれの顔付きが決まる」 「そうなんですね」 「ちなみに、土は 信楽 。信楽焼[※4](#c4)といって、よく蕎麦屋の店先にたぬきが居るでしょう、あの土と同じ」 「あれ、でも信楽は滋賀県ですよね?」 「おかしいでしょ。京都ではあまり陶土がとれないので、土はよその土地から買ってるの」 「初耳です。それで、ろくろを回すときのピアノ曲ですか……」 「ああ、ごめんなさい。先に鍵一さんの用事をどうぞ」 心当たりの曲を、弾こうかどうか迷ってやはり、本題を先に切り出す事にした。しどろもどろの鍵一の説明を、陶芸家は電話口でじっと聴いていた。『夢の浮橋』の絵巻の件※5まで話が及ぶと、ようやく口をひらいた。
「鍵一さんはどうしてその、古代の曲を復活させようとしているの?」 
「ええと……パリに留学していたときに、『夢の浮橋』の復活上演をしたいという人に出会ったんです。エラールというピアノメーカーの、その……ピアノ調律師の方なんですが※6」
「人に頼まれたとか、そういうことじゃなくて」と、陶芸家の声は tranquillo [※7](#c7)に続いた。「鍵一さん自身がどう思っているかを聞きたいの」 受話器を耳に当てたまま、鍵一は口ごもった。 「……その、いろいろといきさつがありまして、ぼくは『夢の浮橋』の楽譜の断片を持っているんですが」 「うん、うん」 「モチーフが夜空に架かる橋のようで、とても綺麗だと思ったんです」 「そうなんだ」 「彗星の輝く晩に演奏されるという伝説もありまして……」 「なるほど。夜空に架かる橋ね」 「原曲はもっと長くて、壮大な音楽のようですので、それを聴けたら楽しいだろうなと……」言いながら焦った。ショパンから提示された謎[※8](#c8)や、チェルニーより託されたモチーフの美[※9](#c9)、ピエール・エラール氏の情熱に共鳴してここまで来たものの、自分自身の興味はごく単純なものであった。 「すみません、理由はそれだけです」 「よくわかった。ありがとう」 電話口に沈黙が流れた。息を詰めて鍵一は待った。陶芸家の思案の背景に雨音が混じっている。思わず庭を見遣ると、しかし貴船の空は晴れていた。フェルマータが水琴窟の鉢[※10](#c10)から水を飲んでいる。……やがて、明るい声が耳に届いた。 「随分前の事だけど、古伊万里[※11](#c11)の修復プロジェクトに携わったことがあるの。すごく大きな水甕で、江戸時代に伊万里港からパリに運ばれたものだった。 そのプロジェクトにはいろんな人が関わっていて、わたしのように長崎出身の陶芸関係者とか、京都の漆芸家とか、パリの美術館の学芸員とか。皆で修復プランを練って、割れや欠けを漆で継ぎ合わせて、継いだところに金粉をまぶして…… もちろん、それはオリジナルの姿とはすこし違うんだけど、いい仕上がりだった」 うなづいて、鍵一は古伊万里の水甕を想像してみた。さまざまな人の手で継ぎ合わされた巨大な水甕。想像の甕はろくろに載せられて回転するほどに小さくなり、舞い上がる金粉は土に染みて、ひょっこりと蕎麦猪口の姿になった。 
つづく
◆ おまけ
音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』がオーディオドラマになりました
日本最大級のオーディオブック配信サイト『audiobook.jp』にて好評配信中♪ 第1話のみ、無料でお聴きいただけます。ピアノ独奏曲『夢の浮橋変奏曲』
鍵一が作曲するピアノ独奏曲。幻の名曲『夢の浮橋』のモチーフを活かし、12の変奏から構成されます。変奏曲はそれぞれ、19世紀の旅で出会った人々(と猫)の肖像を表しています。実際には作曲家の神山奈々さんが制作くださり、ピアニストの片山柊さんが初演をつとめて下さいました。2022年、本作の音楽劇とともに改訂初演されました。河井寛次郎記念館
陶工、河井寛次郎(1890-1966)の住居兼アトリエを基とした私設美術館。2023年に開館50周年を迎えます。『夢の浮橋』絵巻の件
第82話『巡る夢の浮橋♪』をご参照ください。19世紀にて、エラールと鍵一が復活上演を誓った件
第45話『時の旅人♪』をご参照ください。tranquillo(トランクィロ)
音楽用語で「静かに、穏やかに」の意。ショパンから提示された謎
第5話『Twinkle Twinkle Little Start(きらきら光る小さなスタート)♪』をご参照ください。チェルニーより託されたモチーフの美
第16話『歌を継ぐひと♪』をご参照ください。水琴窟の鉢
第63話『水琴窟きらら♪』をご参照ください。- SF音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』(ふるたみゆき)TOP