前回までのあらすじ
18歳のピアニスト・鍵一は極秘ミッションを携え、19世紀パリへとワープする。悩み、恥じ、スッ転びながらも、芸術家たちとの交流は大きな収穫となる。
花の眼、水の歌―アルカン氏の肖像(Ⅱ)♪
――回想 アルカン・シャルル=ヴァランタン氏の肖像(1838年6月)
雨の気配が濃い。
古代ギリシャへの憧憬と、財力に裏付けられた才気とで街の景観が統一されたショセ=ダンタン地区に、今にも雨の降りだしそうな6月の曇天は似つかわしくなかった。 アルカン氏に続いてサン=ラザール通りを早足に行きながら、パルテノン神殿を思わせるデザインの大邸宅の、純白の生クリームのような壁面が今にも湿って崩れ落ちてくるのではないか……あるいは、怪物の姿をかたどった雨樋の口から雨水がドッと落ちて来るのではないか……と、鍵一はひそかに恐れた。モンマルトルの丘から、濃霧がゆっくりとこの地区へ流れて来る。ふと考えが浮かんだ。 (アルカンさんに『夢の浮橋』について尋ねてみようかしら。ショパンさんにそのキーワードを頂いたということは伏せて、あくまでも、パリの地理の話題として……そういう名前の橋があるのかどうか。パリ生まれパリ育ちのアルカンさんなら、よくご存じのはず) 話の切り出し方を考えていた鍵一は、前方からヴァイオリン・ケースを提げた人物が glissando [※2](#c2)するような足取りで来るのに、しばらく気づかなかった。 (まず、シェフが描いてくれた地図をアルカンさんに見せて、地理の話題で興味を惹いてから……それから) ふいに目を遣って鍵一は肝をつぶした。 (鬼) みるみる近づいて来た黒ずくめのその人が骸骨のようにやせて、銀色の髪のすきまからドロンと濁った眼が覗いているのを、アルカン氏はすんなりと目礼してすれちがった。振り返って見る勇気のない鍵一が、 「どなたですか」 声をひそめると、 「パガニーニ」 意外にも簡潔に、音楽家は稀代のヴァイオリニストの名を口にした。 「えッ、今の方、ニコロ・パガニーニさんですか!あの、悪魔に魂を売り渡してアクロバティックな超絶技巧を手に入れたという」 「彼を曲芸師のように形容するのは賢明じゃないと思うけど」 「あッ、失礼しました、何のための超絶技巧か……ということでしょうか」 答えずに音楽家は歩いてゆく。相変わらず上体をやや前方へ傾けて、すべるように歩いてゆく。鍵一がそっとその表情を窺うと、音楽家の瞳は紫色を濃くして、彼の頭の中で何事か思考の深まるように見えた。サン=ラザール通りを随分進んでから、 「引退後の居候の身でも、まだヴァイオリンは持ってるのか」 と、独りごちた。 「何のための超絶技巧か、ということですよね……?」 もういちど鍵一は尋ねてみた。返事のないまま、ふたりの行く手には美しい庭園が現れた。初夏の花のかぐわしい灌木や、まるい実をたわわに付けた樹々の向こうに苺色の巨大な本館が眺められて、有力貴族の自由に寛ぐフォブール・サン=トノレ地区に入ったらしかった。 
(ここもたしか、どなたかのお屋敷)
自分の純和風のいでたちを門番に見咎められないよう、アルカン氏の陰に隠れて外門の前を通りすぎながら、鍵一は内心溜息をついた。 (19世紀パリにワープして来てすぐのころ、さる伯爵の公邸やら、さる旧貴族の館やら、さる銀行家のオフィス兼ご自宅やら、シェフがいろいろ教えてくださったけれど。 正直、会ったこともない方々のお名前やお屋敷の場所はなかなか……うん、覚えられない) 幸い、客人を招いてのティータイムとみえて、門番は馬車庫の出入りに気をとられていた。前傾姿勢のヴィルトゥオーゾと、21世紀から来た日本人という妙な組み合わせのふたり連れは、特に誰の目に留まることもなく、このやんごとなき界隈を進んでいた。 (どなたのお屋敷だっけ。シェフのくれた地図に、たしか書いてあったような) 歩きながら鍵一は、パリの市内地図をひらいて見る。 ……21世紀のパリの半分以下の面積の、ごく小さな『花の都』は、21世紀と同じく東から西へ、ゆるゆるとセーヌ川を流していた。右岸の北にはモンマルトルの丘、左岸の南にはカルティエ・ラタン[※3](#c3)を配して、芸術と学問、貴族と庶民、喧騒と静寂……などをはっきりと対比させたようにみせながら、じつはセーヌ川に架かる数多の橋が、両岸の差異を曖昧にしていた。 特に目印となるべき場所には、シェフが星印を書いてくれていた。パリの中心にテュイルリー宮。東の端にバスティーユ広場。西の端に凱旋門。そしてセーヌ川の中洲にノートルダム大聖堂。(シェフは「ヴィクトル・ユゴーが『ノートルダム・ド・パリ』を発表するより随分前から、俺はノートルダム大聖堂の歴史的価値を認めていたんだよ[※4](#c4)」と、特にちからをこめて、大きな星印を付したのだった) さて、いま鍵一が指でなぞってみたのは、さきほどアルカン氏を訪ねて行ったショセ=ダンタン地区からサン=ラザール通りを西へ、凱旋門をめざすようにやや南下しながらシャン=ゼリゼへ近づくあたりで、 (そう、ベルジョヨーゾ大公妃のお屋敷だ) と、ようやく亡命貴族の名が思い出された。 (シェフの話によると、たしかベルジョヨーゾ大公妃はイタリア・ミラノの王族で……オーストリア皇帝の支配に抵抗したことが元で国を追われて、パリへ亡命してきた方。 芸術に造詣が深くて、昨年はリストさんとタールベルクさんのピアノ対決や、6人のピアニストによる合作『ヘクサメロン変奏曲[※5](#c5)』の制作を企画なさったという!……あれ。タールベルクさんってどんな人だっけ)[※6](#c6) ふと視線を感じて顔を上げると、紫陽花色の瞳が自分を見つめている。急いで鍵一は地図を仕舞った、 「はい」 「リスト君の演奏スタイルが変わったのは、彼がパガニーニ氏の演奏にふれたからだと思う」 話題の揺り戻しに鍵一は一瞬、船酔いのような感覚にとらわれた。 貴族の庭園の濃い緑を背にして、音楽家の瞳は水色に澄んでいる。 「今から6年ほど前、初めてパガニーニ氏の演奏を聴いたリスト君が『自分はピアノのパガニーニになる!』と、熱病に浮かされたように周りへ宣言するのを、いったい何事かと、僕は注視していたのだけど。 彼が猛烈な勢いで創り出した『パガニーニの「鐘」による華麗な大幻想曲』[※7](#c7)を聴いて、何が起きたかを理解した。 彼はヴァイオリンの技法をピアノに『翻訳』することで、ピアノの可能性を開花させた……と同時に、彼の身体性をも開花させた。何より僕の注目したのは、この19世紀という時代に彼らが求められたということだ。彼らが光を放つことで、音楽史は未知の領域へ大きく前進した。音楽史というのは多数の脚と、多数の眼を持つ、巨大な生物のようなものだと僕は思っていて。そいつがパガニーニ氏とリスト君という、巨大な脚と眼を得て、地響きをたてて前へ前へ進んだのだ。 だからこうして同じ時代に生きて、彼らの動きを観察することは、音楽史を観察することに等しいと思う」 言い終えると音楽家はゆっくりとまばたきをして、その話題に興味を失ったようにみえた。踵を返すとふたたび、フォブール・サン=トノレ地区の緑豊かな通りを進み始める。鍵一は呆然とその背中を眺めていた。 (翻訳) 湿った風が花の薫りを運んで来る。 (音楽史という巨大生物) まもなく来る夕立は、1838年のあらゆる人々へ降り注ぎ、貴婦人のドレスの裾を、パティスリーのワゴンを、ヴァイオリンの駒を、馬のたてがみを、聖典の表紙を、王様の口ひげを、みな平等に湿らせるはずだった。 (音楽史はどこで雨宿りをするんだろう) 思ってみて、鍵一は弾かれたように走り出した。霧を掻き分け、何台もの馬車とすれちがい、エリゼ・ブルボン宮の手前でようやく追いついて、 「パガニーニさんはもう、演奏活動を引退なさったのですね」 息切れしながら言い掛けると、音楽家は変わらず淡々と歩いていた。 「ラヴデー家に居候しながら静養中らしい。金銭問題で近々、スクワール・ドルレアンを追い出されることになりそうだけど。[※8](#c8) 世事に固執したわりには、世事に疎い人だったように思う」 と、まるでパガニーニ氏が故人であるかのように言った。 「アルカンさん」 「何」 「もうしばらく、お供させてください」 返事はなかった。鍵一は音楽家とならんで歩きながら、フランツ・リストの手によって幾度も改稿されたのち、21世紀にも強い輝きを放つ名曲『ラ・カンパネラ』を、目の覚めるような心地で思い起こしていた。♪リスト作曲 :パガニーニによる超絶技巧練習曲集 S.140 R.3a

つづく
◆ おまけ
- 音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』がオーディオドラマになりました。
日本最大級のオーディオブック配信サイト『audiobook.jp』にて好評配信中♪
第1話のみ、無料でお聴きいただけます。
オリジナル曲『夢の浮橋変奏曲』
19世紀の音楽家・チェルニー氏から贈られたモチーフを活かし、鍵一が作曲するオリジナル曲。19世紀の旅で出会った芸術家たちの肖像画を、変奏曲の形式で表した作品です。 実際には、作曲家の神山奈々さんが制作くださり、ピアニストの片山柊さんが初演をつとめて下さいます。オーディオドラマやコンサート等でお聴きいただけるよう、現在準備中です。 神山 奈々さん(作曲家) 片山 柊さん(ピアニスト)glissando(グリッサンド)
弦楽器においては、指板上で指をすべらせて、高さの異なる2音間を流れるようにつなぐ奏法。カルティエ・ラタン
セーヌ川左岸の地区。フランス語で『ラテン語地区』を意味するこのエリアには、ソルボンヌ大学など名門の教育機関が集中しており、学問の街として有名です。19世紀に活躍したヴィルトゥオーゾ、タールベルク
ピアノ曲事典 19世紀ピアニスト列伝パガニーニとラヴデー家
1838年、体調を崩したパガニーニは、法律家ラヴデー氏の自宅(スクワール・ドルレアン)に居候していました。パガニーニがラヴデー氏に、レッスン料として2,400フラン、演奏料として24,000フランという法外な金額を請求したために両者の関係は悪化し、パガニーニはスクワール・ドルレアンを出る事となります。