前回までのあらすじ
18歳のピアニスト・鍵一は極秘ミッションを携え、19世紀パリへとワープする。悩み、恥じ、スッ転びながらも、芸術家たちとの交流は大きな収穫となる。
京の八ツ橋♪
「それにしても、どうして作曲なんだ」
と、叔父は火鉢で八ツ橋を炙りはじめた。 「おまえはB先生の支援を得て、ピアノを勉強するためにパリへ留学したんだろ。なのにどうして、作曲の課題をやらなきゃいけないんだ」 「ぼくも当初は、作曲に取り組むことになるとは夢にも思っていなかったのですが。B先生のすすめで、パリへワ……」 「わ?」 「……ワキが甘かったです」 苦し紛れに鍵一は煎茶をすすって、「ツメが甘かったです」と言い直して、それも違う気がして首をひねった。 「なにが甘かったッて」 「考えが甘かったのです。……パリではピアノが弾けるだけではだめなんです。いくら楽器の演奏が巧くても、作曲ができないと、音楽家とは認めてもらえません」 「そもそも、おまえはそんなにピアノが巧いのか?」 「そういうわけではありませんが」 叔父が熱燗をすするのを、鍵一は初めて羨ましく思った。こういう話題にこそ、お酒がふさわしいのかもしれなかった。19世紀パリの音楽家たちが飲んでいた『彗星年のシャンパーニュ』の煌めきが、殊更に恋しい。 「パリでは『音楽家』の定義が違うのです。音楽家というのは、楽器が弾けるだけではなく、作曲をするものです。なによりまず、弁論家であるべきで……自分の音楽言語を持って、説得力を持って音楽で語れる必要があります。だからぼくも、ピアノの勉強と並行して、作曲を勉強しなければなりません」 「ふうん」 叔父は茶碗に八ツ橋をいくつか放り入れた。炙られて温みのついた京菓子の、ニッキの香りが耳に付く。 
「つまり、向こうの音楽教育は、日本とは違ったッてことか。パリではどんな先生に教わったんだ」
「あの、フランツ・リストさん……のような人とか。リストさんのお友達の、ヒラーさんや、アルカンさん……」 鍵一は耳たぶを掻いた。どうにも昔から、叔父と話していると叔父のリズムに乗せられがちなのだった。さらに、叔父の繰り出す変則的なハーモニーにつられると、我知らずとんでもないメロディを弾きかねない。 「いろんな方です」 「パリ音楽院の?」 「……みなさん、親切にして下さいましたが、コンサートホールや楽屋には連れて行ってもらえませんでした。ましてや、サロン・デビューは夢のまた夢で」 「サロン?」 「パリの上流階級の方、もしくは名のある芸術家の方が主催する、社交の場です。フランツ・リストさん……のような先生いわく、名声を獲得するための登竜門、パリの社交界へ通じる扉、とも言うべき場だそうで。そこで自作の曲を弾いて、出来がよければ、音楽家と認めてもらえるそうです」 「へえ、まるで19世紀みたいだなア。花の都パリでは、まだそういう場が生きてるのか」 もはや何も言うまいと、鍵一は八ツ橋を口に押し込んだ。叔父は愉快そうに笑いながら、八ツ橋を肴に熱燗をすすった。 「ということは、おまえは作曲もできるピアニストになるのか。B先生みたいに。やっぱり、師匠と弟子は似るもんだな」 曖昧にうなづきかけて、鍵一は目をみはった。口のなかで古都の雅が砕けた。 (作曲もできるピアニストになる……このぼくが、19世紀の音楽家のように……!)♪リスト作曲 :ピアノ協奏曲 第1番 第1楽章 S.124/R.455 H4
師よりもむしろ、19世紀の音色の記憶が強烈に響いた。この叔父(万事において捌けた中年のアンティーク・ディーラー、または京都人、かつ画家。親族内コードネーム『てんぐちゃん』)によって、はからずも鍵一の進路はハッキリと言語化されたのだった。
「ええ、そうです」 つとめて freddamente [※3](#c3)に、鍵一はうなづいた。 「ぼくはピアニスト・兼・作曲家になります。春にはパリに戻って、またサロン・デビューをめざします。京都で創ろうとしている『夢の浮橋変奏曲』は、そのための第一歩なのです……」 「そうか、そうか。ところで」 叔父は何か言い掛けて、ふいに口をつぐんだ。お猪口を置いて、甥ッ子の顔をつくづくと眺める。面食らって鍵一は、叔父の表情をおそるおそる窺った。美術品の鑑定をするような、ふしぎな目付きで叔父は鍵一を点検したのち、ヒョッと眉を上げた。いつもの陽気な叔父に戻っていた。 「……結構な事だ。じゃア、早く名曲を創って、ハワイと熱海とロサンゼルスに別荘を建てて、サグラダ・ファミリアを完成させて[※4](#c4)、タイムマシンを発明して、温泉を掘って、46億年前の太陽系の謎を解いて、叔父さんに楽をさせてくれよな。ヘヘヘヘ。さあ、もう寝ろ」 
つづく
◆ おまけ
音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』がオーディオドラマになりました
日本最大級のオーディオブック配信サイト『audiobook.jp』にて好評配信中♪ 第1話のみ、無料でお聴きいただけます。劇中曲『夢の浮橋変奏曲』
幻の名曲『夢の浮橋』のモチーフを活かし、鍵一が作曲するピアノ独奏曲。19世紀の旅で出会った芸術家たちの肖像画を、変奏曲の形式で表した作品です。 実際には、作曲家の神山奈々さんが制作くださり、ピアニストの片山柊さんが初演をつとめて下さいます。 ♪『夢の浮橋変奏曲』制作プロジェクトのご紹介 ♪神山 奈々さん(作曲家) ♪片山 柊さん(ピアニスト)freddamente(フレッダメンテ)
音楽用語で『冷静に』の意。- スペイン・バルセロナのカトリック教会。建築家アントニ・ガウディの設計に基づき、今なお建設中。 SF音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』(ふるたみゆき)TOP