前回までのあらすじ
悩める18歳のピアニスト・鍵一は恩師より謎めいたミッションを授けられ、1838年のパリへとワープする。19世紀パリの人々との交流から、鍵一は多くを学ぶ。リストの勧めでサロン・デビューをめざす最中、チェルニーから贈られたのは、幻の名曲『夢の浮橋』の楽譜の一部であった。数千年にわたり受け継がれて来たという幻の名曲の謎を探りつつ、鍵一は『夢の浮橋変奏曲』※1の作曲に取り組む。現代日本に一時帰国した鍵一は、京都貴船※2の叔父のアトリエに身を寄せた。古都の風景に19世紀パリの思い出を重ねつつ、創作の日々が始まる。
幻の系譜(Ⅰ)―マイセン・日本宮殿♪
あくまで真偽不明の伝説ですよ、と断ってから、調律師は
Andantino
※3で話し出した。

「アウグスト強王は、17世紀末から約40年間に亘りドイツ・ザクセン州の選帝侯であり、かつ、ポーランド・リトアニア共和国の王でもあった人物です。当時の王侯貴族の例に漏れず、東洋磁器の蒐集に熱中しました。大航海時代を経て東インド会社が、中国の青花※7や日本の古伊万里※8を輸入しておりましたから……」
「ちょっと待って下さい、メモを取らせて下さい」 「私の知識は素人ゆえ浅薄でございますので、聞き流してくださいますよう。あなたの叔父様のほうがよほど詳しいと存じます」 「ここへ呼ぶのは止しておきます、話がややこしくなりますから」 ほんのりと笑って、調律師は紅茶を啜った。鍵一は急いで席を立って、居間の箪笥の上から手近な紙(京都画廊連合の会報誌、個展の招待状、ファックスの裏紙)と万年筆を取って戻った。 「失礼しました、青花に古伊万里……ですよね」 「アウグスト強王は東洋の磁器に魅せられ、それらに匹敵する品を自国で造ろうと躍起になりました。錬金術師のヨハン・フリートリヒ・ベトガーをマイセンの城に閉じ込めて、柿右衛門[※9](#c9)を随分研究させたようです」 「その研究成果が、マイセン磁器ですか」 「そのとおりです。白磁の製法が判明したことから、1710年にはマイセンの地に国立磁器工房が開かれました。ヨーロッパで最初の磁器窯です」 「錬金術師のベトガーさんは命拾いしたわけですね」 「10数年に及ぶ幽閉生活で疲弊し、彼は若くして亡くなりました。……一方、アウグスト強王の望みは磁器工房の設立に留まりませんでした。王は磁器のコレクションを陳列するため、巨大な日本宮殿[※10](#c10)の建設を計画しました」 「建物のなかにコレクションを入れるのではなくて、コレクションのために建物を造るのですね……!」 「王の構想では、あくまで主役は磁器だったようです。日本や中国の磁器をはじめ、膨大な量のコレクションを陳列すべく、王宮の近く……エルベ川の対岸に新たな離宮が建設されました。それぞれの磁器の文化背景に適した陳列室を造り、大広間をマイセンの動物人形で埋め尽くす計画だったようです。……実際には王の死によって建設計画は縮小され、当初の構想は幻に終わりました」 淡々と続く調律師の声に、鍵一は凪いだ海を思い浮かべた。眺めるままに、海上に幻の日本宮殿が滲み出る。外観はなぜか京都の平等院に似て、頂には鳳凰が羽ばたく。海面に映るその黄金色が、ふいに溶け拡がった。宮殿のなかから湧き出した音楽が、景色をざわめかせる。……鍵一は理解した。 
「『猿の楽隊』は、日本宮殿に飾るための品だったのですね?」
「アイディアの源はそうでしょうね。ケンドラーは王の命により、日本宮殿の大広間に飾る動物彫刻、いわゆるマイセン人形を多数製作しました。 ただ、ケンドラーの手帖に『猿の楽隊』のスケッチが表れるのは1753年、王の死から20年後です。さらにヨーロッパの七年戦争[※11](#c11)を挟みまして、完成は1765年頃でした。先ほど『間接的には王が製作を指示した作品』と申し上げたのはそのためです」 「では、もし『猿の楽隊』が完成するまでアウグスト強王が生きておられたら……」 「猿たちは日本宮殿の大広間に飾られた事でしょう。新たな鍵盤楽器を加えてさらなる大編成の『楽隊』を造るよう、王はケンドラーに指示したかもしれません。ヨーロッパではチェンバロからピアノへの過渡期。ロンドンではヨハン・クリストフ・ツンペがスクエア・ピアノの製作に励んでいたころですから」 さて、猿たちの奏でる『夢の浮橋』に思いを巡らせて、しかし鍵一の脳裏に浮かんだのは、18世紀の宮廷に響いたであろうクラヴィーアの音色。ブルー・オニオン[※12](#c12)のティーカップのなめらかな表面へ、ドイツ舞曲が照り映えた。つづく
◆ おまけ
音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』がオーディオドラマになりました
日本最大級のオーディオブック配信サイト『audiobook.jp』にて好評配信中♪ 第1話のみ、無料でお聴きいただけます。劇中曲『夢の浮橋変奏曲』
幻の名曲『夢の浮橋』のモチーフを活かし、鍵一が作曲するピアノ独奏曲。19世紀の旅で出会った芸術家たちの肖像画を、変奏曲の形式で表した作品です。 実際には、作曲家の神山奈々さんが制作くださり、ピアニストの片山柊さんが初演をつとめて下さいました。 ♪『夢の浮橋変奏曲』制作プロジェクトのご紹介 ♪神山 奈々さん(作曲家) ♪片山 柊さん(ピアニスト)Andantino(アンダンティーノ)
音楽用語で『Andante(アンダンテ)よりやや速く』の意。サンジュリー(仏: Singerie)
フランス語で『真似』の意。猿が人の真似をする風刺作品全般を指します。七年戦争
1756年頃から1763年まで、ヨーロッパ中が巻き込まれたオーストリアvsプロイセンの戦争。- SF音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』(ふるたみゆき)TOP