ブルクミュラーとその周辺(4)
~バレエ作曲家としての成功~
ロマンティック・バレエ誕生と「ジゼル」
1840年代に、ブルクミュラーはバレエ作曲家として成功します。といってもブルクミュラーが単独で作曲したバレエは「ラ・ペリ」1曲なのですが、その話をする前に、ロマンティック・バレエの誕生についてと、現在もバレエの定番レパートリーとなっていて、一部ブルクミュラーが音楽を書いた「ジゼル」について触れた方が後々わかりやすいと思いますので、まずはそれについて書きます。
まずロマンティック・バレエは、オペラの一部として誕生しました(フランスでは伝統的にオペラの中にバレエ・シーンがありました)。1831年11月21日に初演されたマイアベーアのオペラ「悪魔のロベール」第3幕の終わりに、ロベールの父ベルトランが亡くなった尼僧の霊を召喚してロベールを誘惑させる場面があります。そこで、女性たちが白い衣装を纏って踊り亡霊を表現しました。バレエの演目としては、それから間もない1832年3月12日に初演された「ラ・シルフィード」があります。これは「悪魔のロベール」の初演でロベールを歌ったアドルフ・ヌーリ(1802~1839)の台本によるバレエで、やはり「悪魔のロベール」初演の亡霊の場で尼僧院長エレーヌを踊ったマリー・タリオーニ(1804~1884)が、白いチュチュを着て、新しいテクニックであったポワント(爪先立ちのテクニック)を駆使して妖精シルフィードを表現し、話題となりました。チュチュもポワントも、それ自体はこれが初めてではないものの、観客に与えたインパクトは大きく、これらがロマンティック・バレエの走りと言われ、現在につながるバレエのイメージを決定する出来事となったようです。
余談ですが、「悪魔のロベール」第3幕でヒロインのアリスが歌うアリア「私がノルマンディを離れる時」と、この20年後の1851年に出版されたブルクミュラーの「25の練習曲」Op.100の第25曲「貴婦人の乗馬」との類似が指摘されています。1851年当時「悪魔のロベール」が頻繁に上演されていたオペラであったことを考えると、偶然似たとは考えにくいでしょう。
マイアベーア:歌劇「悪魔のロベール」第3幕 アリスのアリアより
さて、今挙げた「亡霊」「妖精」というのはロマンティック・バレエの一つの柱ですが、もう一つのロマンティック・バレエの柱に「異国趣味」ないし「オリエンタリズム」があります。「ラ・シルフィード」はスコットランドが舞台ですし、タリオーニのライヴァルと目されて人気を二分していたバレリーナのファニー・エルスラー(1810~1884)は、1836年にパリで、「松葉杖の悪魔」というバレエの中でスペインの民謡「カチューチャ」を踊り大ヒットしました(ブルクミュラーは1838年に「『カチューチャ』による華麗なディヴェルティスマン」Op.36を作曲しています)。スコットランドもスペインも当時のフランスの感覚では異国でした。
さて、1841年6月28日に、現在でもバレエの定番レパートリーであるアドルフ・アダン(1803~1856)作曲のバレエ「ジゼル」が初演されて圧倒的な成功を収めます。有名なバレエですからご存じの方も多いと思いますが、このバレエでは、第1幕で村娘ジゼルがアルブレヒトと結婚できなくなったショックで息絶えてしまい、第2幕でジゼルが妖精ヴィリーとなって登場します。つまりこれも「妖精物」なわけです。ジゼルを踊ったのはカルロッタ・グリージ(1819~1899)、相手役のアルブレヒト(初演の時の名前はアルベール)を踊ったのはリュシアン・プティパ(1815~1898)、台本はフランスを代表する詩人テオフィル・ゴーティエ(1811~1872)と、台本作家のヴェルノワ・ド・サン=ジョルジュ(1799~1875)、振付はジャン・コラーリ(1779~1854)と、グリージの夫ジュール・ペロー(1810~1892)でした(名前並べているだけのようですが、これが後で重要になります)。
なお、「ジゼル」の原作者ハイネは当時パリにいて、初日かどうかはわかりませんが「ジゼル」を観ています。また意外な人物として、やはり当時パリにいたワーグナー(この時期に彼は、こちらもハイネの原作によるオペラ「さまよえるオランダ人」に取り組んでいました)が「ジゼル」の、恐らく初日を観ています。
バレエ作曲家としての成功
「ジゼル」の初演に際し、ブルクミュラーは第1幕への追加曲として「村人のパ・ド・ドゥ」を作曲しました(現在の「ジゼル」の上演でも踊られますが、プログラムにブルクミュラーの名前が書かれることは殆どありません)。これは初演に参加したナタリー・フィツジャムというバレリーナが自分の見せ場が欲しいといったために作られたそうですが、ブルクミュラーが作曲することになった経緯は全くわかっていません(アダンが忙しかったからとも、追加曲を書きたくなかったからとも言われていますが真相は不明です。また、ブルクミュラーがバレエ団の練習ピアニストを務めていたのでは、との説もありますが、当時バレエの練習は2本のヴァイオリン、あるいはヴァイオリンとヴィオラによって行われていましたので、その可能性はほぼ皆無でしょう)。それでも、このブルクミュラーの曲は好評を博し、簡易的なピアノ編曲や、連弾用の編曲も出版されました。
「村人のパ・ド・ドゥ」の最後には、ブルクミュラーのピアノ曲「レーゲンスブルクの思い出」Op.67の一部が(テンポやニュアンスは大きく異なりますが)転用されました。実は「レーゲンスブルクの思い出」と「ジゼル」は同じ年に発表されたためどちらが先かわかっていないのですが、「レーゲンスブルクの思い出」が先と考えられています。「レーゲンスブルクの思い出」の多くの版には、副題として「『ジゼル』の中で踊られた大ワルツ」とありますが、実はこれはシュバル社から出た最初期の版には書かれていません。「ジゼル」初演の直後、「レーゲンスブルクの思い出」がコロンビエ社から出た際に「ジゼル」の件が副題に追記されています。もしかすると「村人のパ・ド・ドゥ」は、アダンの作曲部分以上に評判が良かったのかもしれません。
1842年に、ブルクミュラーは、国王ルイ=フィリップ1世からフランス帰化が許可され、市民権を得ます(ブルクミュラーは国王の子どもにピアノを指導していたとも言われています)。
そして1843年、「ジゼル」の挿入曲が好評を博したためか、ブルクミュラーは単独でバレエ「ラ・ペリ」を作曲します。ペリというのはペルシャの妖精です。つまり先程挙げた「妖精物」と「異国趣味」を併せ持った題材というわけです。ペリを踊ったのはグリージ、相手役アクメはプティパ、台本はゴーティエ、振付はコラーリ、と「ジゼル」のスタッフが再び顔を合わせ、同年7月17日の初演は大成功でした。
「ラ・ペリ」は、第1幕で、後宮の太守アクメが夢の中で妖精ペリに恋をし、第2幕の現実の世界で、処刑された奴隷レイラにペリが乗り移ってアクメとレイラが愛し合います。ちょうど「ジゼル」を反転させたようなストーリー展開ですね。
シューマン(偶然にも「ラ・ペリ」と同じ1843年に、ストーリーは全く異なるもののオラトリオ「楽園とペリ」Op.50を完成させました)は、1850年3月26日にベルリンで、ヴィルヘルム・タウベルト(1811~1891)作曲の1幕物のオペレッタ「キルメス」と、このバレエ「ラ・ペリ」を鑑賞し(恐らく2本立ての上演)、「大いに魅了された」と日記に記しています(ただし、この一言しか書いていないので音楽ではなく踊りに魅了されたことも考えられます)。
ブルクミュラーはもう1作バレエの作曲に携わっています。1844年に、第1幕をフリードリヒ・フォン・フロトー(1812~1883)、第2幕をブルクミュラー、第3幕をエドゥアール・ドゥルドゥヴェーズ(1817~1897)、と分担してバレエ「レディ・アンリエット」が作曲され、2月21日に初演されました。分担で作曲されたのは、短期間で曲を用意しなければならなかったからです。台本を担当したのは、偶然にも「ジゼル」のもう一人の台本作者サン=ジョルジュでした(彼はオペラの台本も数多く手がけていて、その中で現在名前が残っているものでは、ドニゼッティの「連隊の娘」やビゼーの「美しきパースの娘」があります)。
なぜ名前がフランス語の「アンリエット」なのに、敬称が英語の「レディ」なのかというと、イギリスが舞台の話で、アンリエットは女王に使える女官だからです。この時第1幕を担当したフロトーはこの3年後に自身最大の成功作となるオペラ「マルタ」を発表しますが、これは「レディ・アンリエット」のオペラ化です。「マルタ」をご存じの方であれば主人公の名前がドイツ語読みで「ハリエット」であることを思い出されるかもしれません(「マルタ」は、王室の生活に退屈している女官ハリエットが村娘に扮し、マルタと名乗って街に出ることから起こる喜劇です)。
ブルクミュラーは、「レディ・アンリエット」から自身の作曲部分を使ってピアノのための「2つのディヴェルティスマン」も作りました。単にメドレーにするのではなく、バレエ版にはない楽想やヴァリエーションも加え、ピアノ曲として再創造された作品で、華やかなだけでなく、あたかも序曲のように舞台への期待感を呼び起こしてくれる曲なので、筆者も「知られざるブルグミュラー」のオープニングに第1曲「狩り」を弾きました。
主要参考文献
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澤田肇、佐藤朋之、黒木朋興、安川智子、岡田安樹浩(共編)『《悪魔のロベール》とパリ・オペラ座:19世紀グランド・オペラ研究』上智大学出版、2019
三光長治、高辻知義、三宅幸夫(監修)『ワーグナー事典』東京書籍、2002
鈴木晶『バレエ誕生』新書館、2002
永井玉藻『バレエ伴奏者の歴史:19世紀パリ・オペラ座と現代、舞台裏で働く人々』音楽之友社、2023
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アッティラ・チャンパイ、ディートマル・ホラント(編)、山本宏(本文訳)、高木卓(リブレット対訳)、尾田一正(リブレット補訳)『ワーグナー さまよえるオランダ人(名作オペラブックス18)』音楽之友社、1988
ファブリツィオ・デッラ・セータ(園田みどり訳)『19世紀イタリア・フランス音楽史』法政大学出版局、2024
ハインリヒ・ハイネ(木庭宏、宮野悦義、小林宣之訳)『ルテーチア:フランスの政治、芸術および国民生活についての報告』松籟社、1999
シリル・ボーモント(佐藤和哉訳)『ジゼルという名のバレエ』新書館、1992
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執筆:林川 崇
1978年生まれ。東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。少年時代にエディソンの伝記を読んで古い録音に関心を持ち、19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍した巨匠ピアニストの演奏を探究するようになる。以後、彼らが自らのレパートリーとするために書いた作品及び編曲に強い関心を寄せ、楽譜の蒐集及び演奏に積極的に取り組んでいる。また、楽譜として残されなかったゴドフスキーやホロヴィッツのピアノ編曲作品の採譜にも力を注いでおり、その楽譜はアメリカでも出版されている。ピアニスト兼作曲家として自ら手掛けたピアノ作品の作・編曲は、マルク=アンドレ・アムラン等の演奏家からも高く評価されている。ラヴェルのオペラ「子供と魔法」から「5時のフォックス・トロット」(ジル=マルシェックスによるピアノ編曲)の演奏を収録したCD「アンリ・ジル=マルシェックス:SPレコード&未発売放送録音集」がサクラフォンより発売され、大英図書館に購入される。校訂楽譜に「ピアノで感じる19世紀パリのサロン」(カワイ出版)がある他、春秋社より刊行の楽譜「カール・チェルニー:12の前奏曲とフーガ」でも校訂作業に参加した。コジマ録音より発売のCD「セシル・シャミナード作品集」において「コンチェルトシュトゥック」の室内楽編曲を担当し、坂井千春、高木綾子、玉井菜採、向山佳絵子他の演奏にて収録される。
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