ブルクミュラーとその周辺(3)
~パリへの進出~
パリへの進出
連載第3回からは本題のフリードリヒ・ブルクミュラーについて書きます。
前回書いたように、ブルクミュラーは1826年にロンドOp.1を出版しますが、それ以前の作品はどうなのでしょうか? 実は1曲だけ、1825年作曲のオーケストラのための序曲のパート譜が残っているそうです。
ロンドを出版した後のブルクミュラーは、アルザスに移ってピアニストや音楽教師として活動していたといいますし、実はブルクミュラーはチェロの名手であり、ここでチェリストとしても活動し、自作のチェロ協奏曲を弾いたこともあったようです(こちらの楽譜は見つかっていません)。なお、弟ノルベルトはヴァイオリンの名手でもありました(ノルベルトが1825年に作曲した弦楽四重奏曲第1番Op.4には、兄弟と仲間たちで弾くためか第1ヴァイオリンとチェロに技巧的なパッセージが頻出します。また、ノルベルトはシュポーアにヴァイオリンも教わったという説があります)。
この時期のブルクミュラーには誤って伝えられてきたことがあります(誤りであることはほぼ確実です)。それは、1829年(ママ)からカッセルでシュポーアに作曲を師事し、1830年1月14日に自作のピアノ協奏曲を演奏してデビューしたというものです。これは、作曲家で音楽学者のフランソワ=ジョゼフ・フェティス(1784~1871)が編纂した音楽事典『万国音楽家列伝』第2版(1861)に書かれたものです。前回の記事を読まれた方は気が付かれたと思いますが、この日に自作のピアノ協奏曲を弾いてデビューしたのは弟ノルベルトです(同書のノルベルトの項目には、シュポーアに師事した件と自作の協奏曲を弾いてデビューした件について記載がありません)。ブルクミュラーに起こり得たとしても、弟の師ということでシュポーアと会った可能性がある、という程度だと思われます。『ブルクミュラー25の不思議:なぜこんなにも愛されるのか』(飯田有抄、前島美保、音楽之友社、2014)には、日本でブルクミュラー兄弟の混同が起こっていた話が出てきますが、実はブルクミュラーの存命中のフランスで、既に兄弟混同が起こっていたことがわかります。しかもこれは、現在でもブルクミュラーについての解説で引用されることがあります。
1832年にパリに移住したブルクミュラーは、ピアノ指導者として、またピアノ曲の作曲家として人気を上げていきます(移住した年を1834年とする資料もありますが1832年の可能性が高いです)。しかしこれも不思議なことに、どのような伝手でパリに行き、どのように人間関係を広げていったのか、現段階では全くわかっていません。
ブルクミュラーの初期の重要作の一つとして、ポーランドの愛国歌「5月3日のマズルカ」を主題とした「ポーランドの主題による華麗な変奏曲」があり、1833年にパリで出版されています。この曲は、両手とも分散オクターヴが続く変奏、厚い和音の連打、広い音域を駆け巡る装飾的なパッセージなどが見られるヴィルトゥオーゾ的な面も持つ変奏曲ですが、変奏ごとに少しずつ和声を変えるなど細部への配慮もあり、決して安易に書き飛ばされた作品ではありません。実はショパンがパリに来る以前には、ポーランド以外ではマズルカそのものがあまり知られておらず、ポーランド人以外の作曲家によるマズルカもほとんど見つかっていません(クレメンティが晩年に作曲した「小二重奏曲第2番」の第2楽章が、そうした希少なマズルカの一つと考えられますが、これは1972年まで出版されていません)。意外とこの辺りにもショパンの影響はあるのかもしれません。
1838年には、あのリストに献呈したピアノ曲「幻想的な夢」Op.41が出版されます。
この「幻想的な夢」は日本でも楽譜が出ていますし、音源も容易に聴けますから、ご存じの方もいると思います。そしてこの曲は、確かに我々がイメージするリストの姿を彷彿とさせるかもしれません。しかし実際の所、この当時のリストは、前年にタールベルクとのピアノ対決を行い、そのタールベルクの他、チェルニーやショパンたちと変奏曲「ヘクサメロン」を合作するなど、まさにヴィルトゥオーゾとしての絶頂にあり、リストの作品の中でも特に難しく過激な曲の多くがこの時期に作られました。例えば次のような曲です。
リスト:パガニーニによる超絶技巧練習曲S.140(1838年版) 第4曲より
1838年当時、人々がリストに対して持っていたイメージはこのようなものでした。現在多くのピアニストが弾く「ラ・カンパネラ」S.141-3、「リゴレット・パラフレーズ」S.434、「愛の夢」S.541、シューマンの「献呈」の編曲S.566などは、そもそもこの時存在していません。それを考えると「幻想的な夢」には、それなりに進んだ人であれば弾けるリスト風の曲、といった意味合いもあったのではないでしょうか?
さらに重要なことに、「幻想的な夢」は、シューマンによる批評が「新音楽時報」1839年5月31日号に載りました。興味深いのは、記事のタイトルが「彼の友人リストへの幻想曲(幻想的な夢)」となっていることです。シューマンが見たのがフランス版ではなくウィーンのメケッティ社から出た版であることは記事からわかります。この版を確認できていないのですが、もしかすると本当にタイトルが「幻想曲」となっていたのかも知れません。実はこの記事が出る前の月に、シューマンがリストに献呈した「幻想曲」Op.17が出版されています。シューマンは記事の中で、かつてのブルクミュラーの音楽を「殆どただ軽いだけの、素人的な作品や編曲」として批判していますが、自分の自信作と同じ相手に献呈された同じタイトルの曲となれば、意識せざるを得なかったでしょう。「幻想的な夢」については「今までの彼の領域を超えて真に重要な曲を完成させた。」と評価していますし、偏見を持たずにきちんと曲を見たことは文章からわかります。それでも「彼が再び独自の作品へと向かう事を願う。そのための時間は十分にある。」と釘を刺してもいますが…。
主要参考文献
飯田有抄、前島美保『ブルクミュラー25の不思議:なぜこんなにも愛されるのか』音楽之友社、2014
西原稔『シューマン全ピアノ作品の研究 上』音楽之友社、2013
アルンフリート・エードラー(山崎太郎訳)『シューマンとその時代』西村書店、2020
ed. Ludwig Finscher, Die Musik in Geschichte und Gegenwart, Personenteil 3, Bärenreiter-Verlag, Kassel, 2000
ed. François-Joseph Fétis, Biographie universelle des musiciens et bibliographie générale de la musique, Deuxième édition, Tome deuxième, Librairie de Firmin Didot Frères, Fils et Cie., Paris, 1861
Ernst Herttrich, Vorwort zu Robert Schumann Sämtliche Klavierwerke, Band IV, G.Henle Verlag, München, 2009
ed. Tobias Koch, Klaus Martin Kopitz, Nota bene, Norbert Burgmüller : Studien zu einem Zeitgenossen von Mendelssohn und Schumann, Verlag Christoph Dohr, Köln, 2009
Margit L. McCorkle, Akio Mayeda, Robert-Schumann-Forschungsstelle, ed. Robert-Schumann-Gesellschaft, Düsseldorf, Robert Schumann : Thematisch-Bibliographisches Werkverzeichnis, G. Henle Verlag, München, 2003
執筆:林川 崇
1978年生まれ。東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。少年時代にエディソンの伝記を読んで古い録音に関心を持ち、19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍した巨匠ピアニストの演奏を探究するようになる。以後、彼らが自らのレパートリーとするために書いた作品及び編曲に強い関心を寄せ、楽譜の蒐集及び演奏に積極的に取り組んでいる。また、楽譜として残されなかったゴドフスキーやホロヴィッツのピアノ編曲作品の採譜にも力を注いでおり、その楽譜はアメリカでも出版されている。ピアニスト兼作曲家として自ら手掛けたピアノ作品の作・編曲は、マルク=アンドレ・アムラン等の演奏家からも高く評価されている。ラヴェルのオペラ「子供と魔法」から「5時のフォックス・トロット」(ジル=マルシェックスによるピアノ編曲)の演奏を収録したCD「アンリ・ジル=マルシェックス:SPレコード&未発売放送録音集」がサクラフォンより発売され、大英図書館に購入される。校訂楽譜に「ピアノで感じる19世紀パリのサロン」(カワイ出版)がある他、春秋社より刊行の楽譜「カール・チェルニー:12の前奏曲とフーガ」でも校訂作業に参加した。コジマ録音より発売のCD「セシル・シャミナード作品集」において「コンチェルトシュトゥック」の室内楽編曲を担当し、坂井千春、高木綾子、玉井菜採、向山佳絵子他の演奏にて収録される。
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