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チェルニー

チェルニー

Czerny, Carl

1791 - 1857   イギリス

カール・チェルニーはモーツァルトがウィーンで没する約9カ月前、2月21日に同じオーストリア帝国の首都で誕生した。その名が示唆する通り、彼の父はボヘミアの出身で、モラヴィアで出会った妻と共にウィーンに定住した移民だった。したがってチェルニーの家庭ではチェコ語が話され、ドイツ語、フランス語、イタリア語はその後に修得した。勤勉で禁欲的な父の下でピアノを始めたチェルニーは学校に通うことなく他の子どもたちから隔絶された環境におかれ、両親によくしつけられた。早くから享楽への諦観と孤独、勤勉さを友とする彼にとって、一人ピアノに向き合い過去の作曲家のスコアや理論書、学術書を読みあさることはしごく当然の習慣となっていった。1800年、父に連れられベートーヴェンに面会、弟子入りし彼の演奏をしばしば間近に聴く機会を得た。ベートーヴェンは教育音階のほか、C.P.E. バッハの教則本『正しいクラヴィーア奏法』を教材として用いた。だが作曲に忙しいベートーヴェンはレッスンを断ることも珍しくなく、レッスンのない期間、チェルニーはバッハやスカルラッティ、クレメンティ、ベートーヴェンの楽譜を一人黙々と演奏し、あるいは筆写しては作曲の腕を磨いた。1800年、9歳の時にすでにウィーンでモーツァルトの協奏曲を演奏するまでピアノ演奏に熟達しており、続く数年は神童としてモーツァルトの未亡人コンスタンツェや貴族のサロンに出入りしてフンメルら一流の音楽家たちと演奏した。演奏家として、チェルニーはそれぞれ1806年と1812年にベートーヴェンの《ピアノ協奏曲第1番》、《ピアノ協奏曲第5番》を公の場で演奏したり、1816年には自宅で客人を招いてベートーヴェン作品の演奏会を開いたりもした。だがピアノのスター演奏家になるよりも、博識な教育者、作曲家として活動するほうが性に合うと考えたチェルニーは15歳の時からピアノを教え始めた。やがて彼のもとには多くの生徒が通うようになり、1816年には朝8時から夜8時まで1日12時間のレッスンを行い、夜には作曲に没頭する習慣がついた。この激務を彼は1836年にレッスンをやめるまで20年以上に亘って継続した。

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