前回までのあらすじ
悩める18歳のピアニスト・鍵一は恩師より音楽史研究のミッションを授けられ、1838年のパリへとワープする。フランツ・リストの勧めでサロン・デビューをめざす最中、カール・チェルニーから贈られたのは、秘曲『夢の浮橋』の楽譜の一部であった。興味を惹かれた鍵一は、楽器製作者ピエール・エラールとともに『夢の浮橋』の復活上演を志す。
名もなきシェフの肖像(Ⅳ)♪
――回想 シェフの肖像(1838年4月)
「やっと船が到着したのが、鼻水も凍りそうな朝だった。図書館をさがして、パリの街を必死に歩き回ったよ」
「レストラン……ではなく?」 「カレーム先生が古代建築の版画を模写してた、あの図書館だ。会えるとしたら其処だろうと検討をつけた」 鍵一は1803年の冬を想像した。身寄りもない、蓄えもない、名もなき14歳が、唯一の希望をめざして前のめりにゆく。同年に書かれた交響曲の印象を伴って、その姿はAllegro con brio[※3](#c3)に鍵一の脳裏を踏みしめて行った。「図書館は在った」とシェフは話を続けた。「子供のころの記憶と同じく、パレ・ロワイヤル※5の近くだ。でも、大革命※6のせいで建物の見た目は随分変わってたな。『王室文庫 (Bibliothèque du Roi) 』のレリーフが、『国立図書館(Bibliothèque Nationale)』になっててさ。ああ、王様の時代は本当に終わったんだと、なんだか呆然としたよ。
門番のじいさんが声をかけてくれた。カレーム先生の名前を出すと、喜んで中に入れてくれた。珈琲を出してもらって……カレーム先生について教えてくれた。 ……いやはや。あの人は有名に成ってた。この国の古い政治家でタレーラン[※7](#c7)という男が居るんだが、そいつに気に入られて国賓の晩餐会や、ナポレオンの戦勝記念パーティのためのピエスモンテ(大型装飾菓子)を作るまでに出世してた。 どこに行けばカレーム先生に会えるかと俺は尋ねた。じいさんは気の毒そうに笑って、気軽に会える人じゃないと言った。ヴァレンヌ通りの外相官邸の厨房か、ラ・ペ通りの自分のパティスリーに居るだろうが、今やパリ中の有力貴族に引っ張りだこのパティシエだ。昔の知り合いだといっても、会ってくれるかどうか分からんよ、と。 じいさんの言う事には一理あった。考えてみりゃア、カレーム先生が俺を覚えているかどうかもあやしい。その日は門番の宿舎に泊めてもらって」と、珈琲をすすった。うなづいて、鍵一は耳を傾けた。 「……明くる日、カレーム先生のパティスリーを見に行ってみた。ラ・ペ通りを歩いて行くと、まだ店の看板も見えないうちから甘い、香ばしい、いい匂いがするんだ。 ショー・ウインドウに人だかりがしていて、つま先で伸び上がって見た。仰天したよ。パルテノン神殿だ。チョコレートや飴細工で出来た、ちょっとした馬車の荷台ほどもあるパルテノン神殿が、ガラスケースの向こうにお目見えしていた。 それでようやく分かった。あのとき見せてくれた版画の写し[※8](#c8)は、ピエスモンテの下絵だったんだ」 「そうだったんですね……!」 甘い香りを放つ古代ギリシャの神殿を思い浮かべて、鍵一は製作者の謎めいた言を思い起こした。 「その大きなお菓子は、例のお言葉と関係があるのでしょうか。『僕は一流の料理人に成って、料理のちからで国を立て直す』という」 「俺もそう思ったよ。只事じゃないな、と。でも本人に聞いてみなけりゃ、胸の内はやっぱり分からない。会いに行こうにも、はたと立ち止まった。パルテノン神殿のピエスモンテを見るまでは、俺はカレーム先生に弟子入りしようと思ってたんだ。あの人のそばで料理人に成る道を探るつもりでいた。でも、俺は菓子作りは門外漢だからね。今の俺では役に立てない。そう思って、ひとまず、『フレール・プロヴァンソー』[※9](#c9)の門を叩いた」 「えッ、パリの名店ですよね。鱈のブランダード[※10](#c10)が絶品だという……いきなり雇ってもらえたのですか」 「ハハハ。当時のレストランの厨房はどこでも人手不足だ。ペティ・ナイフが使えて魚の目利きができりゃア、どこでも雇ってもらえる。寝床はかまどの横だけどな」 シェフは笑って、明るい窓を見遣った。いつのまにか青空が濃くなっていた。 「それから1年。働きながら毎週のようにラ・ペ通りのパティスリーに通って、カレーム先生の菓子を買った。文字どおり、飛ぶ鳥を落とす勢いとはあの事だね。いつ行っても長蛇の列。ショー・ウインドウは黒山の人だかり。菓子はどれもこれも絶品。かろやかなヴォロヴァン[※11](#c11)に、品の好いナポレオン・パイ[※12](#c12)……なるほど、外交官の御用達だなと納得した。食いながら、味を再現しようとして研究したよ。でもパイ生地作りからして難しいんだ。カレーム先生を追ってパリまで来たのに、逆に距離が遠くなったように思った。 疲れるとパリをひたすら歩いた。歩くといつも驚いた。こんなにきれいな街だっけなアと。カフェの客はみんな明るい顔をしてる。どこへ行っても陽気な音楽が聞こえる。……アコーディオン奏者の弾く曲なんてのは、どれも『ラ・マルセイエーズ』[※13](#c13)に似てるんだ。でも、この街で革命があったことなんて嘘みたいだった」 シェフは窓を見遣って、しばらく黙っていた。その心に流れる音楽を、鍵一は静かに聴いた。 

つづく
◆ おまけ
音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』がオーディオドラマになりました
日本最大級のオーディオブック配信サイト『audiobook.jp』にて好評配信中♪ 第1話のみ、無料でお聴きいただけます。劇中曲『夢の浮橋変奏曲』
幻の名曲『夢の浮橋』のモチーフを活かし、鍵一が作曲するピアノ独奏曲。19世紀の旅で出会った芸術家たちの肖像画を、変奏曲の形式で表した作品です。 実際には、作曲家の神山奈々さんが制作くださり、ピアニストの片山柊さんが初演をつとめて下さいました。 ♪『夢の浮橋変奏曲』制作プロジェクトのご紹介 ♪神山 奈々さん(作曲家) ♪片山 柊さん(ピアニスト)Allegro con brio(アレグロ・コン・ブリオ)
音楽用語で『活き活きと速く、輝きをもって』の意。ベートーヴェン作曲:交響曲第3番変ホ長調『英雄』
英雄ナポレオンに捧ぐ曲として、ベートーヴェンが1803年に完成させた交響曲。ナポレオンの皇帝即位の知らせを聞いて、ベートーヴェンは激怒し楽譜を破いたといわれています。 ピティナ曲事典>1.ベートーヴェンの生涯>1-3.ヴィーン時代中期(1803 - 1812)をご参照ください。パレ・ロワイヤル
パレ・ロワイヤルは、パリ中心部に位置する元・王宮。ルイ13世の宰相・リシュリュー(1585年-1642年)の死後、この館でルイ14世が幼少期を過ごしたことから、パレ・ロワイヤル(王宮)と呼称されるようになりました。王がヴェルサイユ宮殿に移り住んでからは、ルイ14世の実弟、オルレアン公の館となります。1784年、オルレアン公5代目のフィリップ・ドルレアンが館を改装し、レストランなどが入る商業施設となりました。大革命
フランスの市民革命(1789年から1799年頃まで)。シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール(1754年-1838年)
フランス出身の貴族、政治家。ルイ16世の治世に於いてブルゴーニュの聖務職に就任。フランス革命を生き延びたのちは、ナポレオン・ボナパルトの政権下で外務大臣として活躍しました。画家のドラクロワの父親がタレーランである、という説がありますが、真偽は定かではありません。カレームが『外国人クラブ』のシェフに見せた、版画の模写
第69話『名もなきシェフの肖像(Ⅲ)♪』をご参照ください。19世紀パリの名店、フレール・プロヴァンソー
プロヴァンス地方の料理を出すレストラン。魚介をメインとした南仏料理は大変人気がありました。鱈のブランダード
干した鱈をじゃがいもやクリームと混ぜ合わせ、にんにくを効かせて濃厚な味に仕上げたもの。南フランスの郷土料理を代表する一品です。ヴォロヴァン
フランス語で「風に吹かれて」の意味をもつパイ菓子。カレームの得意とした菓子のひとつです。ナポレオン・パイ
苺のミルフィーユ。カレームの得意とした菓子のひとつです。ラ・マルセイエーズ
フランス革命の際に、革命軍によって歌われた曲。フランスの国歌として現代にも親しまれています。リスト、ドビュッシーなど、多くの音楽家によって編曲・翻案されました。戴冠式
1804年12月、パリ・ノートルダム大聖堂にて、ナポレオン一世の成聖式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠式が行われました。ルイ・ダヴィッドがその様子を描いた油彩画は、通称『ナポレオンの戴冠式』としてよく知られています。この絵画はヴェルサイユ宮殿の「戴冠の間」に飾られたのち、1889年からはルーヴル美術館の所蔵となりました。 SF音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』(ふるたみゆき)TOP