前回までのあらすじ
悩める18歳のピアニスト・鍵一は恩師より音楽史研究のミッションを授けられ、1838年のパリへとワープする。フランツ・リストの勧めでサロン・デビューを目指すさなか、カール・チェルニーから贈られたのは、秘曲『夢の浮橋』の楽譜の一部であった。興味を惹かれた鍵一は、楽器製作者ピエール・エラールとともに『夢の浮橋』の復活上演を志す。
名もなきシェフの肖像(Ⅴ)♪
――回想 シェフの肖像(1838年4月)
「宮廷料理人……!」
「正確には、『皇帝ナポレオンに仕える料理人、ヴァランセ城在住、ただし、フリーランスとしての活動も可』だな。後にも先にも、この国にそんな料理人は居ないだろうよ」 「ええと……」 頭のなかを整理する鍵一へ、「まずタレーラン[※3](#c3)が城を買ったんだ」と、シェフは身を乗り出した。 「ナポレオンから金を貰って、パリ郊外のヴァランセ城を買った。国賓の接待や、皇帝ナポレオン閣下の戦勝祝賀会、やんごとなき方々の舞踏会なんかのためにさ。そういう大きなパーティには豪華な料理が必要だ。その厨房にカレーム先生が迎え入れられたんだ」 「それは凄いですね……!」 頭を巡らして、若き日のアントナン・カレームの姿は「公邸料理人」[※4](#c4)という朧げなイメージに着地した。 「もちろん、ナポレオンやタレーランに仕えた料理人はカレーム先生だけじゃない。ブーシェ[※5](#c5)、ロベール[※6](#c6)、ラギピエール[※7](#c7)……名高い料理人が、その当時はのびのびと腕をふるってた。大革命の前には、俺の親父の仕事仲間だった人たちだ。当時は戦争に勝って景気が良かったし、ナポレオンが呼び戻した亡命貴族がパリには大勢いたもんだから、豪勢な料理にはみんな喜んで金を出したんだな」 Allegramente [※8](#c8)に語られる料理史に耳を傾けながら、鍵一は大革命のさなかに生きた料理人を思い出していた。ポン・ヌフ[※9](#c9)の竣工に携わった匠人を先祖に持ち、革命期において主君とともに捕らえられ、最期に『鴨肉のコンフィがまだ生焼けだったんだ!』と叫んだ人である。[※10](#c10)…… 
「カレーム先生は自由に活動していた」と、シェフは懐かしそうに続けた。
「ヴァランセ城の厨房で働きながら、あちこちで菓子や冷製料理を作っていた。その評判が、俺の勤めてたレストランにも届いてたよ。厨房では料理人たちが、カレーム先生の新作菓子についてよく噂してた。客にアントルメ・グラッセを出したら、この店にカレームは居ないのかとなじられた事もあった」 「アントルメ……?」 「 entremets 、 glacé 。つまり、デコレーションされたアイスクリームのデザートだ。氷菓子なんてのは百年以上前からこの国に在る定番のデザートで、コンデ公の厨房やカフェ・プロコープ[※11](#c11)で研究し尽くされた感があるけどね。カレーム先生のレシピは、クリームの混ぜ方から盛り付けまで独創的だった。誰にも真似できない方法で、誰よりも美しいデザートを作る。そういう人なんだ」 
「ラ・ペ通りの自分のパティスリーにもちょくちょく顔を出してたみたいだ。その証拠に、2週間にいっぺんくらい、ショー・ウインドウにピエスモンテ(大型装飾菓子)の新作が飾られる。それを見ると、この国で何が起きているのかよく分かった。
たとえばロシア・オーストリア連合軍にナポレオンが勝ったときは[※12](#c12)、チョコレートで出来た兜や馬、戦勝記念碑やなんかが豪勢に飾られてた。馬のひづめにナッツが練り込んであったりして、芸が細かいんだ。 プロイセン軍を破ったときは[※13](#c13)、ナポレオンがベルリンの城に入場する場面だった。ナポレオンの掲げたフランス国旗は、苺のジャム、ホワイト・チョコレート、それから青いビスケット。あの青い色はどうやって作ったんだろうと、パリじゅうの評判になってた」 「青色ですか?」 鍵一が訝しむと、シェフは厨房へ立って行って、戸棚から紫色のカリフラワー[※14](#c14)を出してみせた。 「こいつを茹でると青くなるんだ。すりつぶすと青い染料ができる。考えてみりゃア誰でも思いつく事だけど、それまで誰もやらなかった。……当然、そのあとはパリじゅうのレストランやパティスリーに青色の料理があふれた。当時幅を利かせてた食通のグリモ[※15](#c15)に皮肉られたよ。『近頃の料理人は猫も杓子もカレームの後追い。知恵の湧き出る泉はラ・ペ通りのショー・ウインドウのみで、残りはみんな下流で水を汲む奴ら』だとさ」 笑って、「そうそう、楽器や楽隊のピエスモンテもあった」立ち上がると、書棚の奥からゴソゴソと古い紙束を出した。見ればパルテノン神殿が、皇帝ナポレオンの勝利の場面が、ぎこちない線で綴られている。 「これは俺が描いたんだ」と頭を掻いた。「カレーム先生のピエスモンテをスケッチしたんだが……どうもまずいな」 「貴重な資料ですね」と鍵一の眺めるなかに、描き手の言うとおり楽器らしきものが有った。 「それはリュート[※16](#c16)。その隣はエラールの新作ピアノだな」 「これは……噴水ですか?」 「ローマ賞の記念碑。ルイ14世の創った奨学金で、若い芸術家の登竜門だ。1803年にナポレオンがローマに本拠地を移した」 「ああ、あの有名な」ドビュッシーやサン=サーンスも挑んだ賞ですねと言い掛けて、慌てて呑み込んだ。噴水の頂に、確かに Villa Medici [※17](#c17)と読めた。 「……ベルリオーズさんが受賞されましたね」 「おや、日本人もベルリオーズ君を知ってるかい。彼もうちの店に時々来る。今度紹介してやるよ」 また一枚をめくると、思いがけず中国伝来の弦楽器、箏に似た姿が有った。 「こちらは何でしょう?」 「エオリアンハープだ。風に吹かれて自然に鳴る」 言われて合点が行った。『ピアノの詩人』こと、フレデリック・ショパンの演奏からシューマンが想起したのが、まさにその楽器であった。ショパン作曲:エチュード集(練習曲集) 第1番 「エオリアンハープ」 Op.25-1 CT26 変イ長調
つづく
◆ おまけ
音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』がオーディオドラマになりました
日本最大級のオーディオブック配信サイト『audiobook.jp』にて好評配信中♪ 第1話のみ、無料でお聴きいただけます。劇中曲『夢の浮橋変奏曲』
幻の名曲『夢の浮橋』のモチーフを活かし、鍵一が作曲するピアノ独奏曲。19世紀の旅で出会った芸術家たちの肖像画を、変奏曲の形式で表した作品です。 実際には、作曲家の神山奈々さんが制作くださり、ピアニストの片山柊さんが初演をつとめて下さいました。 ♪『夢の浮橋変奏曲』制作プロジェクトのご紹介 ♪神山 奈々さん(作曲家) ♪片山 柊さん(ピアニスト)シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール(1754年-1838年)
フランス出身の貴族、政治家。ルイ16世の治世に於いてブルゴーニュの聖務職に就任。フランス革命を生き延びたのちは、ナポレオン・ボナパルトの政権下で外務大臣として活躍しました。画家のドラクロワの父親がタレーランである、という説がありますが、真偽は定かではありません。ブーシェ
18世紀末~19世紀に活躍した料理人。フランス革命を経て、外相タレーランの家の調理場主任に。カレームはブーシェを敬愛し、最初の著書『パリの王室菓子職人』をブーシェに捧げました。ロベール
18世紀末~19世紀に活躍した料理人。フランス革命前はコンデ公(フランス貴族。王家に近しい一族)に仕えました。革命期のさなか、リシュリュー通りに自分の名を冠したレストランを開店。のちにレストランの経営を弟に任せ、皇帝ナポレオン配下の宮廷料理人として腕を振るいました。ラギピエール
18世紀末~19世紀に活躍した料理人。カレームが師と仰いだ人物。前述のロベール(※6)と同じく、コンデ公(フランス貴族。王家に近しい一族)に仕え、のちに皇帝ナポレオン配下の宮廷料理人になりました。 ロベールやカレームと共に宴会料理を担当し、フランス料理界に大きな足跡を残しましたが、ナポレオンのロシア遠征(1812年)に同行した際、極寒の地で凍死してしまいます。 カレームはその死を悼み、著書『パリ風の料理』の冒頭2ページを「ラギピエールの思い出に」と題して、偉大な料理人の功績を称えました。Allegramente(アッレグラメンテ)
音楽用語で『快活に速く』の意。ポン・ヌフ
セーヌ川に架かる橋。竣工は1607年。パリに現存する最古の橋です。レストラン『外国人クラブ』シェフの父親の最期の言葉、「鴨肉のコンフィがまだ生焼けだったんだ!」
第68話『名もなきシェフの肖像(Ⅱ)♪』をご参照ください。カフェ・プロコープ
1686年創業。パリで現存する最も古いカフェ・レストランといわれています。看板メニューの氷菓(シャーベット)は創業当時から人気があり、多くの文人や芸術家が集いました。アウステルリッツの戦い
1805年12月、ナポレオン率いるフランス軍は、オーストリア帝国領(現チェコ領)のアウステルリッツ(現在のスラフコフ・ウ・ブルナ)にてロシア・オーストリア連合軍に勝利しました。イエナ・アウエルシュタットの戦い
1806年10月、ナポレオン率いるフランス軍はプロイセン王国軍を破り、首都ベルリンに入城しました。カリフラワー(和名・ハナヤサイ)
来歴不明の野菜。地中海沿岸にて、キャベツ類の突然変異で出現したという説があります。紫色のパープルフラワーもカリフラワーの一種。グリモ・ド・ラ・レニエール(1758年-1837年)
フランス出身の美食家、著述家。1803年に『食通年鑑』と題したグルメ・ガイドを刊行し、大変な評判になりました。ヴィラ・メディチ
ローマ賞の運営機関、在ローマ・フランス・アカデミーの本拠地。その庭園の噴水を題材として、イタリアの作曲家オットリーノ・レスピーギが交響詩『ローマの噴水』(1916年)を書いています。 SF音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』(ふるたみゆき)TOP