33. 「30番」を様式・メカニスムの観点から分類する
今回から、いよいよチェルニー「30番」の具体的な考察に入ります。ここで「30番」のオリジナル・タイトルを思い出してみましょう。そう、《30のメカニスム練習曲》作品849でしたね(第1回参照)。そして「メカニスム」とは指や腕の動作といった、演奏する身体の物理的な側面を意味するのでした(第2回参照)。
ということは、この練習曲は機械的な運動のためだけに書かれた練習曲だ、と言えるかもしれません。でも、ちょっと待って下さい。この練習曲が出版されたのは1856年でした。本連載の第3回以降で、練習曲は1820年代から30年代にかけて発展し、機械的な練習にとどまらない一つの作曲ジャンルとして成立したことを見ました。そして機械的な練習には「エグゼルシス exercices(訓練課題)」という名前が当てられるようになったことも見ました。
30年代には、モシェレスやショパン、ヘンゼルトといった多くのピアニスト兼作曲家たちが旋律や和声に入念な配慮を施した練習曲を出版しました。チェルニー自身もまた、「人生の波乱」や「バラード」といった詩的なタイトルを掲げた練習曲を40年代に書いていました(**第23回参照)。
つまり、チェルニーが「30番」を出版した50年代には、既に練習曲にはメカニスム重視のものと様式重視のものとがあり、どちらに比重が置かれているかで「様式の練習曲」と呼ばれたり「メカニスムの練習曲」と呼ばれるようになっていたのです。第19回では、チェルニーがパリで出版した練習曲を、この基準に従って分類しましたが、「30番」は《30のメカニスム練習曲》というタイトルにもかかわらず、様式上の特徴も顕著に見受けられるため、様式とメカニスムの中間的な練習曲として「タイプ②」に分類しました。
つまり、チェルニーの「30番」には練習曲の発展の中でもたらされた、練習曲に様々な音楽様式をとりいれる傾向を少なからず反映しているのです。ということは、「30番」の練習に取り組むときには、それぞれの曲を即物的な音の羅列として見るのではなく、それぞれの音楽様式に即した理解やテンポ感が重要になってくるということです。
これから始まる「30番」についての考察の特徴は、このように歴史的な背景、19世紀の音楽様式上の背景を理解に基づいて「30番」を捉えなおすという点にあります。
それでは、30曲のそれぞれにはどのような様式の上に成り立っているのでしょうか。まずは全体像を見てみましょう。下の図の左欄は、各曲が様式とメカニスムのどちらの特徴が際立っているかを示しています。曲を聴いて、「これは~の様式を喚起する」と思える場合には「様式」に分類し、特にそのような印象を得られない場合には「メカニスム」に分類しました。更に、様式に分類された曲の様式的な特徴を表の右欄に記しました。
様式 or メカニスム
様式上の特徴
1
様式
舞曲 (ジーグ)
2
様式
独唱風
3
様式
舞曲 (ジーグ)
4
様式
重唱風
5
様式
舞曲 (コントルダンス)
6
様式
バレエ(森の情景)
7
様式
弦楽器風の旋律
8
メカニスム
9
メカニスム
10
様式
トッカータ
11
メカニスム
12
メカニスム/様式
エグゼルシス/歌唱風
13
様式
模倣的小品(「つむぎ歌」)
14
メカニスム
15
メカニスム
16
様式
独奏ヴァイオリン風
17
様式
性格的小品
18
メカニスム
19
様式
ソナタのスケルツォ楽章風
20
メカニスム
21
メカニスム
22
メカニスム
23
メカニスム
24
メカニスム
25
メカニスム
26
様式
性格的小品
27
メカニスム
28
様式
交響的
29
様式
トッカータ・プレリュード
30
メカニスム
印象に基づいて分類したとはいえ、これにはそれなりの根拠があります。その根拠として、以後、個々の曲を見るにあたって、類似した様式の作品を引用しながら「様式」に分類された曲がいかに「その様式らしいのか」を示していきます。
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