
第一部 ジャンルとしての練習曲
~その成立と発展(1820年代~30年代)
14. 受容者からみた1830年代末の練習曲
~S.ヘラーによるエチュード批評 その2
1830年代は技巧・音楽的多様性の両面で、練習曲集というジャンルが長足の進歩を遂げた時期です。前回述べたように、練習曲の一つ一つには固有のタイトルがつけられるケースも増えてきます。本連載第11回では、ボヘミアのピアニスト兼作曲家モシェレスの例を通して作曲家から見たタイトルの意義を見ましたが、では、タイトル付きの練習曲は、聴き手や演奏者にとってどのような意味を持ったのでしょうか。この疑問の答えを垣間見る糸口として、ピアニスト兼作曲家のステファン・ヘラー(1813-1888)が1839年に出版した他の作曲家たちの練習曲に下した批評をみてみよう、というのが前回までの流れでした。
そこで、今回はヘラーの批評した作品のうち、ドイツ出身のピアノの二大家、アドルフ・フォン・ヘンゼルト(1814-1889)の《12の演奏会用性格的練習曲》(1837)とヴィルヘルム・タウベルト(1811-1891)の《12の演奏会用練習曲》作品40(1838)についての批評を見ることにします。まず、それぞれの練習曲の各曲には次のようなタイトルが付いています。
番号
ヘンゼルト《12の演奏会用性格的練習曲》作品2(1837)
タウベルト《12の演奏会用練習曲》作品40(1838)
1
嵐よ、お前は私を打倒せまい!
英雄
2
私のことを少しでも想ってください、私はいつも貴方のことを想っています!
カンツォネッタ
3
私の願いを聞き入れて!
とんぼ
4
二重唱―愛の安らぎ
亡霊の踊り
5
波乱の人生
ウルカヌス
6
もし私が鳥だったなら君のところへ飛んでゆくのに
パストラーレ
7
黄金の翼を持つは、我が青春
トルコ風に
8
君は私を惹きつけ、引き立て、飲み込む
ノクターン
9
愛の青春、天上の悦楽
ヘクトール
10
小川が大海に広がるように
水の精
11
わが人生よ、お前は眠っているのか?
糸杉の下で
12
沢山のため息、想い出、ああ、何という不安!
心が私を打ちのめす
凱旋
ヘンゼルトの練習曲のタイトルはいずれも詩の一節から取ったような文学的なスタイルのフランス語で書かれています。一方のタウベルトは、ナポレオンの到来以来、音楽作品の主要な主題の一つとなった「英雄」や軍楽としての「凱旋」、ギリシア/ローマ神話から想を得た「エクトール」(トロイア戦争で総大将を務めたトロイア王の長男)や「ウルカヌス」(鍛冶の神)に加えて、「水の精」や「糸杉の下で」などドイツ的でメルヒェンチックなタイトルもあります。
ここでは、批評の具体例として、タウベルトの一曲に対するヘラーの批評文の一節を見てみましょう。例えば、タウベルトの第7番「トルコ風に」については次の様に評しています。「この練習曲の音符を通して、オスマン王朝の半月旗はくっきりと輝き、ひどくうぬぼれて禁断の果実を味わうことに魅せられて脚をよろめかせるトルコ人がはっきりと見て取れる。」
確かに、バスのイ音のオスティナートは、行進曲の《ピアノ・ソナタ》K.311の有名な「トルコ行進曲」のイ長調のセクションにも見られるもので、太鼓の効果を模倣しています。
W.タウベルト《12の演奏会用練習曲》作品40 第7番(冒頭17小節)

確かに、ヘラーは「音符を通して」トルコの軍楽の面影を認めていますが、しかし「オスマン王朝の半月旗」や「ひどくうぬぼれて禁断の果実を味わうことに魅せられて脚をよろめかせるトルコ人」は「音符」が具体的に描くものではないことは誰の目にも明らかです。ヘラーは、実際には彼が持っていたトルコに対する異端的イメージを作品の様式のみならず「トルコ風」というタイトルからも膨らませています。
さらにヘラーはこう続けます。「疑い無くこの練習曲は権勢を誇るパシャのお気に入りであり、私が次にコンスタンティノープルに演奏旅行に行く際にはこの曲をできるだけ上手く演奏して、うまく大貴族の歓心を買いたいところだ。オクターヴによる和音の跳躍とバスを伴う12度の分散和音は、全くバルバリ的な効果を生み出す。」※1パシャとはオスマン帝国の高級軍人のことで、「バルバリ的」とは「野蛮な」という意味です。
多分に嘲笑的なヘラーの語調の背景には過去にオスマン帝国の支配を受けたハンガリー出身という個人的な出自も関わっているのかもしれません。理由が何であれ、ここで重要なのは、この「トルコ風」練習曲について、ヘラーは練習や訓練に関するテクニカルな点について「12度の分散和音」という言葉を用いているだけで、後はすべて自身の想像によって特殊な情景を描いているという点です。トルコに対するこのような蔑視は、ヘラー個人のものというよりは当時のヨーロッパ人が共有していたオリエントに対するステレオタイプな偏見というべきものですが、ヘラーはタイトルによって「音符」の外側にある事象について描写することを楽しんでいます。
練習曲はタイトルを持つことによって、今や練習や機能性を超えて、自由な想像力を掻き立てる場所となっていたのです。
[^1]: S. Heller, 《 tudes pour le piano. (Suite) MM Taubert, Henselt, Chopin, Bertini 》, Revue et Gazette musicale, 6e année, n 8, 24 février 1839, p.59-62.
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