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ライネッケ

ライネッケ

Reinecke, Carl Heinrich Carsten

1824 - 1910   ドイツ

1860年はライネッケとドイツの音楽界にとって重要な年となった。彼がライプツィヒに戻りゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者並びにライプツィヒ音楽院の教授に就任したのである。同年9月30日の就任記念コンサートを皮切りに、以後1895年にニキシュにその座を譲るまで彼は35年に亘りこのオーケストラを統率し、さらにライプツィヒ音楽院の著名な作曲・ピアノ教授として1902年まで(97年院長に就任)、40年以上もの間教鞭を振るった。これによってライネッケがドイツの音楽界に対して持つ影響は決定的なものとなった。教育の標準を確立するために彼はバッハ、ベートーヴェン、シューベルト、モーツァルト、ウェーバーから同時代に至る多くのピアノ作品の楽譜を校訂・編集、さらに著名なオーケストラ曲や室内楽の念入りなピアノ編曲を一手にひきうけた。これらが模範的教材としてドイツで広く使用されたことは想像に難くない。彼が作曲したモーツァルトやベートーヴェンの協奏曲カデンツァは今なお弾かれており、ライネッケの名前よりも有名になっている。リストやワーグナーの急進的な作品よりも、伝統と格式を重んじるカリキュラム、ゲヴァントハウスの演奏会プログラムによってライネッケは保守派の重鎮と見做されるようになったが、一方で彼の門下からは未来の音楽界を担う若い音楽家たちが巣立っていった。ヤナーチェク、E.グリーグ、ブゾーニ、ワインガルトナー、P.リヒター、理論家H.リーマン、音楽学者クレッチュマーたちはみな彼の教えを受けている。ライネッケをはじめとして優れた教授陣をそろえたライプツィヒ音楽院は、まさに彼の在任中にヨーロッパ中にその威信をとどろかせ、屈指の名門校に成長したのである。ライプツィヒ音楽院(現メンデルスゾーン音楽院)ならびにゲヴァントハウス管弦楽団の中興の祖と呼ぶべきライネッケに対してライプツィヒの音楽文化が負っている恩義は計り知れない。1901年、滝廉太郎は日本の音楽留学生第一号としてライプツィヒを訪れ、10月にライネッケ率いる音楽院の入試に合格している。ライネッケは年下のブラームス、グリーグがこの世を去り、ドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキーがすでに作曲家として活躍しはじめても尚生き続け、1910年、明治末期に85年の生涯に幕を下ろした。彼は現在一族と共にライプツィヒの墓地に眠っている。

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