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チャイコフスキー

チャイコフスキー

Tchaikovsky, Pytr Il'ich

1840 - 1893   ロシア

国内コンサート登場回数: 67回

結婚生活から逃避するように1877年10月にスイスに去ったチャイコフスキーに、その年の末に願ってもない話が舞い込んできた。同年5月頃から手紙で交友していたナデージダ・フォン・メック(メック夫人)から、定期的な金銭的支援の申し出を受けたのである。半ルーブルほど出せばウォッカ一瓶が買え、ボリショイ劇場の最前列のチケットが3ルーブルしたという時代に、作曲家は毎年6000ルーブルもの大金を受け取るようになった。「健康上の理由」という書面で、チャイコフスキーは1878年にモスクワ音楽院の教授職を辞し、以降のキャリアを自らの音楽活動に集中させることになるが、そのようなことができたのも、彼女の支援あってこそだろう。この関係はあくまで私的なもので、事実、チャイコフスキーは彼女に作品を献呈する際も、常にその名を伏せて捧げるようにしていた。例えば、交響曲第4番は「私の最良の友人へ」、ヴァイオリンとピアノのための《なつかしい土地の思い出》には、メック夫人の別荘があったブライーロフの地から「B*******に」と献辞が書かれている。また、チャイコフスキーとメック夫人は、1890年までの約14年に渡る期間で、現存するだけでも1200通以上の書簡を交わし、音楽のことのみならず、様々な話題についてそこで語り合った。その中には、1880年代前半にメック夫人家のピアノ教師として働いていた青年クロード・ドビュッシーの話題も含まれている。ドビュッシーはチャイコフスキーの音楽を愛し、メック夫人を通じてピアノ曲《ボヘミア風舞曲》を彼に見せたという(チャイコフスキーはいささか物足りなさげな評価を下した)。しかし、よく知られているように、二人はどんなときも直接面会することはなかった。1884年にメック夫人の息子ニコラーイがチャイコフスキーの姪のアンナと結婚したときも、二人が親戚関係になってからも、そのような態度は変わらなかった。二人は直接的に言葉をかわすロマンチックな関係というよりも、書かれた言葉を通じた奇妙な精神的共鳴関係にあったのだろう。

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